2011年11月02日

価値観

1944年1月11日、アメリカのルーズベルト大統領は演説でアメリカ憲法で保障された「幸福の追求」をより具体的に実現するための新しい権利を提唱した。以下がその権利↓

社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利
充分な食事、衣料、休暇を得る権利
農家が農業で適正に暮らせる権利
大手、中小を問わず、ビジネスにおいて
不公平な競争や独占の妨害を受けない権利
すべての世帯が適正な家を持てる権利
適正な医療を受け、健康に暮らせる権利
老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利
良い教育を受ける権利

この演説の後すぐにルーズベルトは亡くなり、この権利は法制化されなかった。でも、これって本来は当然の権利のはずで、なんとなく皆、日本でも当然のようにこの権利は保障されていると錯覚している。でも、実際保障されているだろうか?答えは残念ながらNOと言うしかない。

例えば、先日僕が日記に書いた九州電力の問題にしても、「不公平な競争や独占の妨害を受けない権利」が僕らに何も保障されてないから起こる不公平さだと思うし、老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利にしたって、家もあり、テレビもあり、それなりの仕事がある人達はあまり現実的にピンとこないのだろうが、本当に貧困に喘いでいる人達には、この権利はほとんど保障されていないに等しい為、失業率は上がり、自殺者は増える一方だ。

この、当然のはずの権利が、保障されていないような社会はやはり変えていかなくてはいけないはずだし、いつまでも僕らが目暗じゃいけないはずだし、もっと怒っていいはずだし、僕個人で言えば、もっともっと勉強して、自分の権利をしっかりと、正当なカタチで主張し、自己防衛出来るようにしなくてはいけないと強く感じる今日この頃。

ちなみに、このルーズベルトが唱えた権利を、僕の場合、もう一歩踏み込んでいかなくてはいけないのだが、「社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利」という部分の、「仕事」という言葉だが、その社会が何を仕事として認めているのかという価値観によって、報酬を得られる権利が与えられるのか?与えられないのか?が若干変わってくると思う。「社会に貢献」という言葉が若干厄介だ。何故なら、特にここ日本の場合、銀行員、学校の先生、大手企業のサラリーマンなどは社会に貢献していると考える人が多いが、例えば無名のミュージシャン、無名の画家、無名の詩人などは、その創作活動を仕事とあまり認めていないというか、社会に貢献し、正当な報酬を得られる権利を与えて良い職業(仕事)とは、あまり認めたがらない価値観を持つ人達が圧倒的に多いと感じる。なので、自分の創り出した仕事を仕事として世間に認めてもらえないと、僕含め自称アーティストさん達には、この「社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利」も与えられないということになるから面倒だ。

ようするに、特に日本などは、乱暴なまとめかたをすれば、年貢米をしっかりと目に見える形で国に収める人間だけが権利を認められ、年貢を収めることに直接関係しているような仕事じゃない限り、それを仕事としても認めてもらえないという残念な状況や価値観がある。

なので、無名の(年貢をあまり収められない)アーティスト達は、「君達のやっているのは、趣味で、仕事ではない。大人なんだから、他の仕事を探して、まっとうな生活をしなさい。」と、お国からも、そして、その価値観に洗脳された隣近所、肉親からすら注意と警告を受ける羽目になる。

でも、自分たちでまっとうな仕事に就いていると思っている銀行員だって、学校の先生だって、大手企業のサラリーマンだって、医者だって、政治家だって、弁護士だって、家に何か絵ぐらい飾ってるだろう、何かBGMぐらい聞くだろう、誰かの詩を読んで、明日の仕事のやる気につなげたりする人だっているだろう、誰かのライブを観たり、音楽を聴いて、明日また元気に仕事する励みにしたり、ストレス発散したりするだろう?事務所のデスクだって、デザインが施されてるはずだ。ミュージシャンや絵描きを見下してるサラリーマンの背広やネクタイだって、間違いなくデザインや色で選んだはずだ。それらがなかったら、実は社会はまわらないんだ。オイルがなかったら動かない車と一緒だ。運転手とエンジンだけが偉いんじゃない。オイルだって必要だ。アーティストが生み出すものが、この世から消えれば社会は機能しないということを考えたら、アーティストだって実は、社会貢献しているのだ。

簡単に言うと、僕個人の考えとしては、このルーズベルトのいう権利に加え、アーティストの表現や創作活動も仕事としてしっかりと認められ、正当な報酬を得られる権利を保障して欲しいということだ。

あれ?最初に書こうとしたことから、大分それた気がする、、(汗)

実は、マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』を見て、僕が感じた日本における資本主義って何だ?民主主義って何だ?ってことを書こうとしたのだ。このキャピタリズムっていう映画はアメリカ社会のことを描いているのだが、日本にも当然当てはまる部分が多くあり、最近の日本でも、電力会社の問題や年金問題、失業者の増加、税金の無駄使いなどなど、民主主義って何なの?資本主義って本当に良いシステムなの?なんかおかしいんじゃないの?そろそろ何か新しい価値観で社会を動かしていかないといけないんじゃないの?と感じさせられる出来事がいっぱいだと思いませんか??

僕は、いつまでもこの社会のシステムに騙され続け、疑問すら抱かない、怒ることすら忘れられ、自分は本来ジャングルで駆け回る権利があるというのを忘れ、動物園の飼育員に媚を売り、餌さえもらえればHAPPYという魂の抜けた呼吸をするだけの肉の塊になり下がった牙を抜かれた動物園のトラのような存在に自分はなりたくないと強く感じるわけです。

最後に、映画の最後に流れていたウディ・ガスリーの歌の歌詞。

イエスは金持ちに言った。「貧しい者たちに施しなさい」
だから奴らはイエスを葬り去った
イエスは病める者、貧しき者、飢えた者、傷ついた者を救った
だから奴らはイエスを葬り去った
イエスは宗教家や警官にも同じことを言った
宝石を売って貧しき者に施しなさい
ところが奴らはイエスを葬り去った
イエスが町にやって来ると、彼の言葉を信じる労働者たちに歓迎された
銀行家や宗教家どもはイエスを十字架にかけた

この歌はニューヨークで書かれた
金持ちと宗教家と、その奴隷たちの街で
そうだ、もしイエスが今、同じように演説したら
奴らはイエスを逮捕して処刑するだろう

Jesus Christ by Woody Guthrie

イエスという言葉にあまり馴染のない日本人は、イエスの部分を別に「ある人」とか「お釈迦様」に置き換えても良いと思う。

ようするに、アメリカであれ日本であれ、今のこの資本主義というシステムは何かおかしい。このままのシステムでは皆が飢え死にする。そう思った。

新しい価値観が必要なんだと感じた。



キャピタリズム~マネーは踊る プレミアム・エディション [DVD] / マイケル・ムーア (出...
posted by 竜馬 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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