2013年11月18日

『万葉集』を全部音にしてしまった作曲家


『万葉集』を全部音にしてしまった作曲家でもあり前衛芸術家の刀根康尚氏。
日本初のコンピュータ・アートのコンサート(65年)の企画をした男でもある。

刃根先生は僕のNY時代の恩師です。
多分刃根先生は「俺はお前みたいなバカな奴の恩師になったことはない!」と言いそうですが、基本誰のことも「馬鹿」呼ばわりする人でした。しかし、そこにはなんとも言えない優しさが横たわっていて、皆に慕われていた。それにしても、今になって刃根先生のライブパフォーマンスやライフワークを見ると彼の偉大さがストレートに伝わってくる。

高校、大学時代に見た?体験した?刃根先生のパフォーマンスは当時全く意味不可解で頭の中が?????となっていましたが、あの時、刃根先生から強烈な毒の入っている注射を脳内に打たれたのか、少しずつ脳内で爆発を起こす起爆装置を埋め込まれたのか、30年経った今も自分が表現しようとしているものの中に混沌と刃根先生の影響が出ていて自分でも驚く。

最近、自分の中で勝手にはじまっている企画「DJのいらないDJイベント」は、この記事にも書いてある「意味から生まれ意味に基礎づけられているようにみえるけれど実はやっぱり無意味なんじゃないかという世界でしょう。あるいはコンセプトのあるナンセンス。」が僕の中でうごめいているからに他ならない。

電子音楽や芸術に関わる方には是非一度目を通してもらいたい刃根先生の記事と映像

youtube映像 36秒!!
http://www.youtube.com/watch?v=3k4_OaXNe2Q

刃根先生のCD紹介↓
http://tower.jp/article/feature/2011/06/09/78359
posted by 竜馬 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | アート Art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月27日

ジョアン・ミロ(Joan Miró)

miro7_b.jpg


ジョアン・ミロ(Joan Miró)
僕の好きな画家

本当は今この世にいること自体が奇跡の大手術を小さい時にして、幼少時代はほとんど友達と遊ばなかった僕。

いつも小さな虫だとか植物を何時間も見て育った
小学校低学年の頃の夢はファーブルみたいな博士になること

そんな自分の子供の頃の感性を画を見るたびに奥深くから呼び覚ましてくれるジョアン・ミロ(Joan Miró)

「自然の中のもっとも小さいものが全世界だ。」
そう言いきったジョアン・ミロ(Joan Miró)

どちらかと言うと絵画の世界で育ってきた僕
大学も美大。音楽なんて無縁だった。
けど、今は絵を描くより
太鼓を叩いている時間が好き、三線を弾いている時間が好き。

画材や表現方法が変わっても
僕が表現したいことは実はそんなに変わっていない。

絵も音楽も上手い下手とは無縁なところにいたい
なぜなら、そのどれもが自分自身へのアプローチ
スペースシャトルに乗らなくたって自分自身の中へ入れば
そこはもう大宇宙。どこへでも行けます。
posted by 竜馬 at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | アート Art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月28日

忘れっぽい天使

忘れっぽい天使.jpg


パウル・クレーの忘れっぽい天使を急に思い出した

クレーは昔から好きだったが、この天使の絵は写真などで見る限りなんとなく可愛らしい絵だな、、ぐらいにしか思っていなかった。。

しかし、本物を見た時。ゾォ〜〜〜ッと全身に鳥肌が立った!
この鳥肌は感動したからではない、恐怖を感じたからだ。

これは可愛い絵なんかじゃない!凄いエネルギーを内に秘めた絵だ。鉛筆だけで描いたこの絵。。鉛筆の線と白い紙だけで、こんなにも人間の心を揺さぶり恐怖に誘い込む絵を描く事が出来るなんて!僕にとっての凄い発見だった。絵画から感じた恐怖、死神を見た気分だった。が、それはしだいに感動に変わり全身が温かくなった。

パウル・クレーには何故か親近感を覚える
彼は音楽家から絵画の世界に。僕は絵画の世界から音楽に。
もちろんクレーと僕を比較しているわけではない。ただ、クレーの絵画や言葉には昔からハッと何かに気づかされることが多い。

音楽が時間の流れにのせて音を分節してゆくように、線もまた空間を歩む。音を奏でるのと紙の上を点と線である造形を創りあげてゆくことは全く同じ事なんだと感じる。

クレー曰く
「自然との対話は、画家にとってつねに必須の条件である。それは画家として人間であり、したがってみずからも自然に属しており、自然の空間内に存在する自然の一片だからである」

子供の頃から多くの偉大な芸術家達の作品に直接触れることの多い恵まれた環境の中、僕は何を作品から学んだのだろう?それは結局のところ芸術の技術面ではなく自然との対話の方法だったようにも思う。壊されてゆく自然にこうまでも強烈に魂が震えるのは多分多くの芸術家達の魂に触れてきたからだろうと思う。彼らの魂が僕の魂をもこうまで敏感にさせてくれたに違いない。自然を壊すという事は僕ら自身の魂を死滅させるという事と同じなのだ。僕はそう信じてる。


この絵はパウル・クレーが死を迎える寸前に描いたものだ。。


パウル・クレーの墓地の墓碑銘にはこう書かれている

「この世では永遠に把えられるすべもない私
なぜならば私の棲家はいまだ生まれざるもののもとに
そしてまたまさしく死者のもとにあるのだ
俗人よりも創造の息吹に近く
しかもなお私の心は安らぐことなく
創造の坩堝そのものに近かれと乞い願う」


posted by 竜馬 at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | アート Art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

Hundertwasser

fun5.jpg


僕がとても影響を受けたアーティストの1人
フンデルト・ワッサーHundertwasser

彼は自然との共生を人に考えさせる多くの絵画、建築を残しています。彼の思想と建築には今も影響受け続けています。

環境問題を考える時、彼のこの言葉は常に僕の中にも生きているし生かしてゆこうと思っています。

「重要なのは、実際的な汚染ではなく、主観的な汚染を撲滅することである。空気や水の汚染よりも、感覚や頭脳の汚染と戦うことの方がはるかに重要なのだ。原初の自然は、知覚の衛生として、精神が吸い込む酸素として、高く評価されなければならない。それが完全なる自然主義である。それが我々の感覚・思考・行動能力の巨大な触媒であり、促進剤なのだ。」





長文読む時間のある人はフンデルトのこの言葉も興味深いので是非読んでみて下さい。↓

『廃物のない社会に向けて』

もしはっきりとした良心をもちたいと思ったら、廃物のない社会のために戦わなければならない。我々は自然の客人であり、自然の法に従って行動しなければならない。使い捨ての社会に寛大であってはならない。人は、自分自身が世界を荒廃させてきた最も冠険な寄生生物であることを、認識しなければならない。

地域を再生させるために、エコロジーの体系の中で自分の本来の場所に戻らなければならない。自然は何百万年にもわたって、沈積物や有害物質を、腐葉土層、植物の層、酸素の層で覆ってきた。その結果、人間は地球で生きていけるのである。しかし、恩知らずな人間はその後、丹念な宇宙的な配慮で隠されていた沈積物や有害物質を取り出し、地表に出してしまった。こうして、無責任な人間の大それた行動により、時間の始まりと同じように世界の終わりも作り出してしまった。

我々は自殺行為を行なっているのである。我々の都市は癌に似た潰瘍なのである。

我々はみな、ゴミに対して責任がある。ゴミは刑事犯罪にするべきだ。根本的にゴミのない状態にするために、ゴミを産出する業者、包装業界、ゴミの原因を作り出す人、ゴミを出す人は、厳重に罰せられるべきである。

我々は自分の国で生産されたものを食べず、食料を遠くアフリ力やアメリ力、中国、ニュージーランドから輸入している。自分たちの糞も保存しない。汚物を遠くへ遠くへと流していく。そうして川や湖や海を汚染しているのである。糞は我々の土地に還元されることもなければ、食料が生産された場所に還元されることもない。我々は食前・食後に感謝の言葉をロにするが、糞をするときは誰も感謝の言葉を口にしない。我々は大地の賜物である日々のパンを神に感謝するが、食べ物が糞になると、自分の糞に祈りを捧げることなどしない。廃物は美しい。廃物に感謝し、再び一体となるのは、美しくて楽しい行為である。



あらためてフンデルトの言葉を読んでいると特に僕が今書くことが無いなと思ったのでそのまま載せました。


 
posted by 竜馬 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | アート Art | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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