2014年06月30日

『日本の憲法9条は ジョンレノンと同じ。』という清志郎の言葉

『日本の憲法9条は ジョンレノンと同じ。』
という清志郎のこの言葉に少しハッとさせられた。

このご時世、音楽や絵画に携わる者として何が出来るのか?をよく自分自身に問いかける。僕は政治家ではない、政治学者でもない、評論家でもない、だから彼らと同じ切り口で物事を訴え表現しても意味がない。

ジョン・レノンといえばイマジンという曲を思い出すが僕らアーティストサイドの人間が出来る事、またはやらなければいけない事というのは、まさにこのイマジン、つまりイメージを伝えてゆくことなのでは?という気がしてきた。国境を無くそう!戦争放棄する国をつくろう!!という言葉は、ある人達からは非現実的であり、単なる夢物語に感じるようですが、僕らはそのイメージを発信し続けることこそが役割で仕事なのでは?と思った。

イメージは想像であり創造なわけで。イメージされたものはいつか必ず何かしらのカタチにかわって、現実のものとなるはずなのである。そう考えれば、何を想像するのか?何をイメージするのか?というのは、人類にとって、とてもとても重要な事に思われる。そもそもこの世はイメージで創られているのだ。

何を夢みたいな事を語っているのか?具体策は?非現実的過ぎる!などの言葉にはそもそもあまり耳をかさなくても良い部分がアーティストにはあって良いような気がしてきた。

例えば羽を付けたピンクの象をキャンバスに描く。確かにそれは現実にはいない象だし、非現実的イメージだ。でも、そのような大昔から想像されていたであろうイメージは、現代のジャンボジェット機につながっているのかもしれないではないか?ひと昔前まで、いったい誰が何百人もの人間を載せて、空を飛び世界中を渡る乗り物が現実になると想像しただろう?しかし、現在、それを誰も夢物語だとは言うまい。この事を現実にしたのは、まさしく、それをイメージした人がいたからだ。

あらゆる手段で、戦争を一切放棄する国が、この世にあったっていいんじゃないのか?まさに、僕らの国は日の出る国、ジパング。

▼この清志郎さんの文入りの画像作成者は伊勢谷 業 さんという方だそうです。
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2014年05月13日

With God On Our Side(神が味方)

自分が正しいと思っている人間同士の意見がぶつかり合うと喧嘩になり、我々こそ神に選ばれし民だと考える民族同士がぶつかり合えば戦(イクサ)になり、正義と正義がぶつかり合えば戦争になる。神風は決して日本の為だけに吹く風ではないことを僕らは学んできたはずなのに・・・。美しい国を目指すことも、自国への誇りを持つ事も決して悪いことではないのかもしれないけれど、他の国だって同じように自国に誇りを持ち、自国を美しい国にしようとするのですから、その誇りもまた、ぶつかり合うと厄介なわけで。。。所詮、誇りは埃(ホコリ)だ。なんてことを考えているとボブ・ディラン の "With God On Our Side" (神が味方)という歌が聞こえてきた。年を重ねたり、時代が変わってくると改めて心に染み入ってくる曲っていうのがあるものなんですね。

(歌詞の一部↓↓)
戦いの理由は
私には納得できたことが無かった
けれども私は戦いの理由を受け入れた
誇りを持って受け入れることを覚えた
なぜなら、神が味方に付いている時は
死者を数えたりはしないのだから

我々は今や
死の灰の武器を持っている
撃つことを強いられたなら
撃たねばならない
ボタンの一押しで
世界中を打ちのめす
神が味方に付いているときは
決して質問などしてはいけない

イエス・キリストは
くちづけで裏切られた
私が君に代って考えてあげることは出来ない
君が自分で決めなければならない
イスカリオテのユダには
神が味方に付いていたのかどうか

という歌詞の最後にボブ・ディランはこう歌う↓

神が我々の味方なら
次の戦争を止めて下さるだろう


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2012年05月23日

Babylon System

北九州市の放射能瓦礫受け入れ。北九州市民にも十分な説明もなかったが、放射能の問題は北九州だけの問題ではない。日本中の問題だし、世界にも影響が出る深刻な問題だ。ましてや、同じ九州に住む僕らには、まさに目の前の問題なのに、僕らの声は無視されている。Bob Marleyのバビロンシステムという歌をとても身近に感じた今日。バビロンシステム、遠いジャマイカだけのお話じゃない。今、まさにこの日本を牛耳っているシステム。そして、僕らや僕らの子供達の血を吸い尽くそうとしている吸血鬼のシステム。無関心のまま血を吸われますか?闘いますか?音楽やアート、表現することに携わっている身としては絶対に無関心のまま素通り出来ない。RockもReggaeもHip-HopもPunkも、基本はRebel Music 反逆の音楽だとオイラは信じてる。

Bob Marley Babylon System Lyrics

We refuse to be
What you wanted us to be;
We are what we are:
That's the way (way) it's going to be. You don't know!
You can't educate I

俺たちはお前たちが望むようなものになることを拒否する
俺たちは俺たちだ
そうなるものなんだ。お前たちはわかってないだろうが!
お前は俺を教育することなんてできない

For no equal opportunity:
(Talkin' 'bout my freedom) Talkin' 'bout my freedom,
People freedom (freedom) and liberty!
Yeah, we've been trodding on the winepress much too long:
Rebel, rebel!

平等の機会なんてない
俺の自由について語る
人々に自由と解放を!
Yeah, 俺たちは(ワインを作るための)ブドウ畑で働きすぎだ!
反乱だ!反乱だ!

Babylon system is the vampire, yea! (vampire)
Suckin' the children day by day, yeah!
Me say: de Babylon system is the vampire, falling empire,
Suckin' the blood of the sufferers, yea-ea-ea-ea-e-ah!
Building church and university, wo-o-ooh, yeah! -
Deceiving the people continually, yea-ea!
Me say them graduatin' thieves and murderers;
Look out now: they suckin' the blood of
the sufferers (sufferers).
Yea-ea-ea! (sufferers)

バビロンシステムは吸血鬼だ!
毎日子供たちの血を吸っている!
俺は言う:バビロンシステムは吸血鬼だ、落ちぶれた帝国だ!
苦しんでいるものたちの血を吸って、
教会や大学を建てている!
絶え間なく人々をだましている!
俺は言う:奴らは泥棒と殺人者を生み出している!
見ろよ、苦しんでいる者たちの血を吸っている奴らを!

Tell the children the truth;
Tell the children the truth;
Tell the children the truth right now!
Come on and tell the children the truth;
Tell the children the truth;
Tell the children the truth;
Tell the children the truth;
Come on and tell the children the truth.

子供たちに真実を
子供たちに真実を
子供たちに真実を伝えてくれ、今すぐ!



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2012年04月29日

このシステムの中で、、、

先程、twitterで自分が

『「働けば自由になれる」「労働は人間を自由にする」←本当にそう​だろうか??ちょっと立ち止まって考えてみたい言葉。そもそも、​この言葉は20世紀前半、ナチス政権が強制収容所のスローガンと​して用いていた事で有名になった言葉。怠けろと言いたい訳じゃな​いが、働く意味を考える時間も大切。』

などとつぶやいたりしていたら、

『モモ』などで有名なドイツの作家、ミヒャエル・エンデが、こんな言葉を残しているのを発見した。→

『非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのが今の経済システムです。この経済システムは、それ自体が非倫理的です。私の考えでは、その原因は今日の貨幣、つまり好きなだけ増やすことができる紙幣が未だに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。』

う〜ん・・・・
知らぬが仏という言葉もありますが、、いろいろ知ってゆくと、実際に今のシステムの中で、何も考えず闇雲に自分の労働力を使って働くことが難しくなってくる。。。

こういう事を書くと誤解されやすいのですが、僕は別に努力もせず怠けた方がいいと考えているわけではない。どちらかと言えば僕は人間はよく働く方が身体にも精神にも健康的だと思っている方だ。
ただ、問題は、どこで、何の為に、どう働くのか?だ。

極端な比較をすれば、例えば貴重な生き物たちが多く住む森を、自然環境の事なんかに全く興味の無い大金持ちに頼まれて、ブルドーザーで毎日山を削る仕事で働くのも「働く」だし、逆に緑を増やすために植林をする仕事場で働いたりすることも「働く」だ。山を削る仕事もあれば、森を守る仕事もある。どれも同じ「仕事」とか「働く」という言葉を使う。

この極端な比較で言えば、僕自身はお金にどんなに困っても、貴重な森を削る仕事に携わりたくはない。

まぁ、そんな程度の「意味を考える」という余裕は常に心に持っていたいということだ。
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2012年04月25日

我がままに。

ある者が他者をその意に反してでも行動させうる、特別な「力」を保有することを「権力」と言う。
また、その「力」を持ちたいと渇望することを「権力欲」と言う。
大雑把な解釈だが、まぁ、そういう事だろう。

資本主義というのは、大抵の場合、この「権力欲」の強い人間がのし上がるのに適したシステムだと言える。
なので、この「権力欲」の強くない人間は、権力欲でのし上がり、ある程度の権力というものを持った人間達にこき使われたり利用されることが多くなる。

例えば、小さなお店や会社などでバイトをしても、その構図はよく見える。
その店や会社のオーナーの言動をよ〜く観察していると面白いようにそれがよく見える。
オーナー達は大抵の場合、皆えばりたいのだ。厳しい言葉を使おうが、優しい言葉を使おうが、
ようするに自分の欲求を満たす為に巧みに人をコマのように使おうとするのだ。

権力欲と書いたが、支配欲と言いい変えても同じだ。

皮肉な言い方をすれば、就職に有利な人間というのは、
単に偉く見られたい人達(権力者達)にとって都合よく動いてくれる人間。ということになるわけだ。

さらに極端な言い方をすれば、今の学校教育は、その偉く見られたい人達に、都合よく使われやすい人間を造り出す為の教育だとも言える。学校のシステムや大人の言う事に問題なく馴染める子供を「良い子」と呼ぶのでもその本質は明らかだ。

これは、一種の奴隷制度と変わりがないと思うのだが、何せその奴隷にもそれなりの娯楽を与える為に、奴隷化させられている事に奴隷達が気がつけない。何故なら、その権力者達の言いなりになり、一生懸命仕事をすれば、ある程度楽しく過ごせる為のお金がもらえたりするからだ。「奴隷のように働かされている・・・。」と薄々感じながらも反抗出来ない理由もそこにあったりする。

結局、こういうような構図が原発の問題やら環境破壊、様々な社会問題を生み出しているとも言える。

ここまで書いておいて何だが、、深く社会問題について書こうとしたのではなく、、
僕の周りにもその権力欲やら支配欲の強い人達がいて、巧みに僕を操ろうとするのだが、、
そういう人達にホトホト疲れた今日この頃だったので、こういう内容になった。

自由になるというのは、その権力者達の都合通りには働く事を拒否するという事だ。

資本主義の中ではあるけれど、一応僕らは幸いな事に民主主義の中にもいるので
権力者達の言いなりになるのを拒否するという権利も一応ある。

だから、僕は本当に社会の為になる仕事しかしない。
一個人の支配欲を満たしたり、権力を増長させる為に自分の労力を使いたくない。

我侭?そう、僕は、我がままにゆくのです。
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2011年11月02日

価値観

1944年1月11日、アメリカのルーズベルト大統領は演説でアメリカ憲法で保障された「幸福の追求」をより具体的に実現するための新しい権利を提唱した。以下がその権利↓

社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利
充分な食事、衣料、休暇を得る権利
農家が農業で適正に暮らせる権利
大手、中小を問わず、ビジネスにおいて
不公平な競争や独占の妨害を受けない権利
すべての世帯が適正な家を持てる権利
適正な医療を受け、健康に暮らせる権利
老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利
良い教育を受ける権利

この演説の後すぐにルーズベルトは亡くなり、この権利は法制化されなかった。でも、これって本来は当然の権利のはずで、なんとなく皆、日本でも当然のようにこの権利は保障されていると錯覚している。でも、実際保障されているだろうか?答えは残念ながらNOと言うしかない。

例えば、先日僕が日記に書いた九州電力の問題にしても、「不公平な競争や独占の妨害を受けない権利」が僕らに何も保障されてないから起こる不公平さだと思うし、老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利にしたって、家もあり、テレビもあり、それなりの仕事がある人達はあまり現実的にピンとこないのだろうが、本当に貧困に喘いでいる人達には、この権利はほとんど保障されていないに等しい為、失業率は上がり、自殺者は増える一方だ。

この、当然のはずの権利が、保障されていないような社会はやはり変えていかなくてはいけないはずだし、いつまでも僕らが目暗じゃいけないはずだし、もっと怒っていいはずだし、僕個人で言えば、もっともっと勉強して、自分の権利をしっかりと、正当なカタチで主張し、自己防衛出来るようにしなくてはいけないと強く感じる今日この頃。

ちなみに、このルーズベルトが唱えた権利を、僕の場合、もう一歩踏み込んでいかなくてはいけないのだが、「社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利」という部分の、「仕事」という言葉だが、その社会が何を仕事として認めているのかという価値観によって、報酬を得られる権利が与えられるのか?与えられないのか?が若干変わってくると思う。「社会に貢献」という言葉が若干厄介だ。何故なら、特にここ日本の場合、銀行員、学校の先生、大手企業のサラリーマンなどは社会に貢献していると考える人が多いが、例えば無名のミュージシャン、無名の画家、無名の詩人などは、その創作活動を仕事とあまり認めていないというか、社会に貢献し、正当な報酬を得られる権利を与えて良い職業(仕事)とは、あまり認めたがらない価値観を持つ人達が圧倒的に多いと感じる。なので、自分の創り出した仕事を仕事として世間に認めてもらえないと、僕含め自称アーティストさん達には、この「社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利」も与えられないということになるから面倒だ。

ようするに、特に日本などは、乱暴なまとめかたをすれば、年貢米をしっかりと目に見える形で国に収める人間だけが権利を認められ、年貢を収めることに直接関係しているような仕事じゃない限り、それを仕事としても認めてもらえないという残念な状況や価値観がある。

なので、無名の(年貢をあまり収められない)アーティスト達は、「君達のやっているのは、趣味で、仕事ではない。大人なんだから、他の仕事を探して、まっとうな生活をしなさい。」と、お国からも、そして、その価値観に洗脳された隣近所、肉親からすら注意と警告を受ける羽目になる。

でも、自分たちでまっとうな仕事に就いていると思っている銀行員だって、学校の先生だって、大手企業のサラリーマンだって、医者だって、政治家だって、弁護士だって、家に何か絵ぐらい飾ってるだろう、何かBGMぐらい聞くだろう、誰かの詩を読んで、明日の仕事のやる気につなげたりする人だっているだろう、誰かのライブを観たり、音楽を聴いて、明日また元気に仕事する励みにしたり、ストレス発散したりするだろう?事務所のデスクだって、デザインが施されてるはずだ。ミュージシャンや絵描きを見下してるサラリーマンの背広やネクタイだって、間違いなくデザインや色で選んだはずだ。それらがなかったら、実は社会はまわらないんだ。オイルがなかったら動かない車と一緒だ。運転手とエンジンだけが偉いんじゃない。オイルだって必要だ。アーティストが生み出すものが、この世から消えれば社会は機能しないということを考えたら、アーティストだって実は、社会貢献しているのだ。

簡単に言うと、僕個人の考えとしては、このルーズベルトのいう権利に加え、アーティストの表現や創作活動も仕事としてしっかりと認められ、正当な報酬を得られる権利を保障して欲しいということだ。

あれ?最初に書こうとしたことから、大分それた気がする、、(汗)

実は、マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』を見て、僕が感じた日本における資本主義って何だ?民主主義って何だ?ってことを書こうとしたのだ。このキャピタリズムっていう映画はアメリカ社会のことを描いているのだが、日本にも当然当てはまる部分が多くあり、最近の日本でも、電力会社の問題や年金問題、失業者の増加、税金の無駄使いなどなど、民主主義って何なの?資本主義って本当に良いシステムなの?なんかおかしいんじゃないの?そろそろ何か新しい価値観で社会を動かしていかないといけないんじゃないの?と感じさせられる出来事がいっぱいだと思いませんか??

僕は、いつまでもこの社会のシステムに騙され続け、疑問すら抱かない、怒ることすら忘れられ、自分は本来ジャングルで駆け回る権利があるというのを忘れ、動物園の飼育員に媚を売り、餌さえもらえればHAPPYという魂の抜けた呼吸をするだけの肉の塊になり下がった牙を抜かれた動物園のトラのような存在に自分はなりたくないと強く感じるわけです。

最後に、映画の最後に流れていたウディ・ガスリーの歌の歌詞。

イエスは金持ちに言った。「貧しい者たちに施しなさい」
だから奴らはイエスを葬り去った
イエスは病める者、貧しき者、飢えた者、傷ついた者を救った
だから奴らはイエスを葬り去った
イエスは宗教家や警官にも同じことを言った
宝石を売って貧しき者に施しなさい
ところが奴らはイエスを葬り去った
イエスが町にやって来ると、彼の言葉を信じる労働者たちに歓迎された
銀行家や宗教家どもはイエスを十字架にかけた

この歌はニューヨークで書かれた
金持ちと宗教家と、その奴隷たちの街で
そうだ、もしイエスが今、同じように演説したら
奴らはイエスを逮捕して処刑するだろう

Jesus Christ by Woody Guthrie

イエスという言葉にあまり馴染のない日本人は、イエスの部分を別に「ある人」とか「お釈迦様」に置き換えても良いと思う。

ようするに、アメリカであれ日本であれ、今のこの資本主義というシステムは何かおかしい。このままのシステムでは皆が飢え死にする。そう思った。

新しい価値観が必要なんだと感じた。



キャピタリズム~マネーは踊る プレミアム・エディション [DVD] / マイケル・ムーア (出...
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2011年10月21日

選択肢

「楽しむことを意識すると
 行動は無意識になる

 失敗するのが怖いことではなく、
 来年も今と同じ自分の方が怖い。

 うまく行くと思うと、
 ちょっとくらいうまくいかないことは気にならない。
 どうせ考えるならばマイナスより
 プラスの方を♫」

知人がfacebookでそう書いていた。全く同感。

特に何をやるにしても苦労はつきものだ。好きで趣味にしていたことだって、仕事にしたら楽しいことだけにはならない。ある意味、努力と苦労の連続なはず。よく大人が「楽しい事だけやって生きていければ誰も苦労しない。」と子供などに説教してるのを聞くが、まぁ、確かに半分本当だけど、僕は半分違うと思っている。いや、、正確には100%違うと思ってるのかも。何故なら、自分が本当に好きだ!楽しい!と情熱を感じられるものを常に選んでいれば、他人から見て苦労だったり、努力だったり、苦しそうに見えることだって、本人にとっては一種の自然な無意識の行動の中でそれをやっていたりするだろうし、また、それらの苦労は、本人にとっては楽しみにすら感じたりするはずだからだ。

僕の知人が、高校生の頃から「私は、お金を数えたりするのが凄く好き。だから、社会人になったら、お金を数えたり、お金の仕組みに関われる仕事がしたい。」と言っていた。その知人は、どうやらお金持ちになりたいとかではなく、本当にお金を数えたりすることが凄く好きなようだった。

そして、その知人は、実際に奥歯がすり減る(本当にすり減ったらしい)ほどの猛勉強をして、銀行員になった。銀行員になった後、一度その知人に「どう?実際に銀行員になったら、やっぱり大変?」と聞くと、その知人は「まぁ、普通に大変だけど、でも、楽しい!」とキラキラした笑顔で言っていた。

僕なんかは、自分の財布の小銭を数えることすら面倒に感じる人間なので、銀行員なんかになり、毎日人の金の計算なんかさせられたら、30分でも胃潰瘍になりそうだ。それこそ毎日不幸を感じてしまうかもしれない。でも、その知人にとっては、その仕事は幸せな選択だったわけだ。

よく、自分の仕事の不平不満ばかりを言っている人がいるが、それは本当に不幸なことだ。でも、その不幸は、決して周りの責任ではない。100%自分自身の選択なんだということを明確に自覚した方が良いと僕は思う。(日本など先進国に住んでいる場合だけど)

仕事の不平不満ばかり言ってる人に「じゃあ、仕事辞めたら?」と言うと、大抵いろいろと辞められない理由を並べ、そのどれもが周りの環境を憂いだもので、全てが自分の選択したもので自分をとりまく世界は創造されているということを認めない。もしくは認めることが出来ない。

彼らが理解出来ないのは、子供の頃からずっと自分から逃げるという選択を積み重ねてきたからだ。もしかしたら、幼稚園児の頃から小さく小さく積み重ねてきてしまっているのかもしれない。自分の情熱に従うという選択ではなく、常に安全だ、安心だと感じる方向、もしくは、波風立たず、周囲に嫌われないように、人目を気にしながら、自分の身を守れる道を選んで生きてきてしまったに違いない。

自分の人生を楽しくするか、不平不満の人生にするか、
それらは、全て自分の選択次第だ。周りの責任じゃない。

「そんなに今の仕事が嫌なら、その仕事を辞めて好きなことしたら?」というと、彼らは大抵、「でもぉ、、好きなことだけしてたら食っていけないし。。。」とか言い出す。こういう会話のやりとりは本当に残念だ。

僕は思う。食っていけるのか?いけないのか?を悩んでるぐらいなら、その食べていけると信じてる道を選べばいい。そのかわり、その道に進んだら、今の仕事が嫌だとか不平不満を言わず、生きがいをその仕事の中に探して、黙々と仕事をこなすべきだ。何故なら、自分でその道を選んだのだから。

周りで音楽や絵や何か自分の好きなことを職業にして成功してる人達を見てると、大抵その普通の人が何か行動に起こす前に常に何故か考えてしまう「食えるのか?食えないのか?食うためには相当の苦労が必要なんじゃないか?」というような不安をあまり抱かない人のような気がする。そういう不安よりも、自分が生きがいを感じ、情熱を感じていることが出来なくなるという不安の方が、食えなくなるかもしれないという不安よりも、はるかに大きいのだ。

好きなことをして生きられなくなる不安より、食えなくなるという不安の方が勝ってしまうなら、そもそも、そういう方々は、好きなことをして生き抜くという生き方は出来ないのではないだろうか?と思う。

子供の頃、何かに熱中していて、親が「ご飯出来たわよ〜!」と呼んでいるのに気がつかなかったり、無視してた経験はないだろうか?

それに似て、そういう熱中出来るものがあるなら、妙な安定を望む生活ではなく、その自分の情熱にかけた方がいいと僕は思う。逆に、何をしていても、飯の方に反応してしまうなら、飯を食うということを人生の最大重要課題にすればよい。簡単なことだと思う。ただ、そのどちらを選んでも、それらは自分自身の選択なのだから、後で不平不満を言うな!と言いたい。

今、歩いてる道は、自分が選んだんだという自覚がないから、不平不満が出る。そういうことじゃないのか?

もちろん、誰だって飯は食わないと生きていけない。ただ、自分の好きな事(生きがいを感じる事)をしながら、どうやって飯を食うのか?を日々工夫し知恵を絞りながら生きる人と、生きがいとか、情熱よりも先に、どちらの道を選んだ方が飯が食えるのかで道を選ぶ人がいる。その違いがあるだけじゃないのだろうか?

僕の考えでは、どの道に進もうが、所詮、食っていけるのか、いけないのか?などは誰もわからないわけで、ならば、最初から、道を選ぶときに、食えるか食えないかではなく、自分がそこに生きがいを見いだせるか、見いだせないのか?で道を選んだ方が賢い気がするのだが、どうだろうか?


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2010年11月04日

己の価値判断

民主党の小沢一郎元代表の言動に関してはいろいろと賛否両論あるらしいですが
先日、都内でインターネットサイト「ニコニコ動画」の公開生中継に出演した際の
小沢氏の発言で僕自身も前々から感じていることと同じような事を小沢氏も話していた。

それらは、日本人というか、日本人特有の事なかれ主義や『みんなで決めました』『みんなで渡れば怖くない』というような思考回路に対しての苛立ちに似たようなものがある気がする。

多分、これは、海外で仕事をした経験がある人や、
帰国子女の人たちは皆それなりに感じたりしてることじゃないだろうか?
少なくとも僕は、この小沢さんの意見に関しては同意見である。

その発言のいくつか僕が特に同意見だと感じた部分を抜粋してみた。

以下、小沢氏の発言。

「それぞれの人たちがきちんと自分の意見を言う。
 そういう習慣をつけないと、日本は成り立っていかないのではないか?」

「日本人の悪い癖は、面と向かってしゃべらない。面と向かって本人には言わず、あっちこっちで陰 口きく。外交の問題も同じ。例えば、中国でも米国でも、その場はニコニコ、ニコニコして、調子 のいいこと言って。それで帰ってくると、ああだの、こうだの悪口言う。それがものすっごく信用 を落としている」

小沢さんの国家ビジョンとはどんなものか?という質問に対しては、

「僕が言ってんのは自立と共生という理念なんですけどね。一番はまずは日本人に必要なのは自立。 というのは自分自身の価値判断を持ち、自分自身で意見を持ち、そして自分の責任で行動するとい う日本になるべきだ。自立した日本人の集合体が自立した国家なんです。日本なんです。」

今の菅政権をどう思うか?という質問に対しては、

 「それは代表選挙で菅さんを選んだんだし、そのときは世論調査なるものは7割だかあった。
  総理は党内手続きで選ばれるんですけど、結局に背景にあるのは、国民が選ぶんですから。
  この間、7割支持したのが、すぐ半分なっちゃうのは、僕は、おかしいと思う。
  国民もね。もっと国民がしっかりしなきゃダメですよ。
  国民、しっかりしないと、政治家もしっかりしないですよ」


そう。
政治家の批判も大事かもしれませんが
結局は僕ら自身、国民一人一人の姿勢こそ、今、世界から問われている気がする。
国民の世論自体も数週間で変わってしまうような土壌からでは、
しっかりした政治家も生まれないのでは?と思ってしまう。

ブレている政治家も多いが、それは同時にブレている国民が多いということでもあるはずだ。




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2010年10月29日

4万種!!

生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)という
世界192の国、地域から、政府関係者や民間活動団体(NGO)ら
約7000人が集い、生物の多様性を維持していくための方策が話し合われる会議が
日本の名古屋で開かれていたため、ここ最近、メディアなどでも生物多様性云々と騒がれている。

そんなニュースを聞きながら驚いたのだが、
人類の活動などによって、現代では1年間に4万種が
絶滅しているといわれているのだそうだ。

4万種????

1年間にそんなに途方もない種類の生物が絶滅しているのか??

驚きである。。。。

ちなみに、このCOP10では何が話し合われているのだろう?
参考までに、日本が示した議長案を載せておくと
↓↓
一、遺伝資源の利用で生じた利益を公平に配分するのが目的。

 一、利益には金銭的利益と非金銭的利益を含み、配分は互いに合意した条件に沿って行う。

 一、人の健康上の緊急事態に備えた病原体の入手に際しては、途上国の判断に配慮する。

 一、遺伝資源に関連した先住民の伝統的知識も利益配分の対象とする。

 一、遺伝資源の入手には、資源の提供国から事前の同意を得ることが必要。

 一、多国間の利益配分の仕組みを検討する。

 一、企業や研究機関が入手した遺伝資源を不正利用していないか、各国がチェックする。

ということらしい。。。

仕方ないことなのかもですが、どれも人間本位の内容。
ようするに、人類がいかに生き残るかということを話し合う会議といってもよいのでしょう。
それはそれでもちろん大切なことではあると思いますが、、、、

その人間様の活動の影響で、年間4万種あまりの種類の生物が絶滅していることを考えると
人間様だけ生き残ろうという発想には無理があり過ぎるように感じる。

年間4万種ですよ??

すでに手遅れなのでは??
と感じてしまうのは僕だけでしょうか?

ある人が
「生き物の代表が集まって会議をしたら人間はなんと言われるのでしょうか?」
と書いていたが、僕も同じ疑問を持つ。


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つながるいのち―生物多様性からのメッセージ

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2008年01月09日

セクハラ??

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「アホか??」
と思わずテレビに向かって声を発してしまった。

岩手県奥州市の黒石寺で繰り広げられる伝統行事、蘇民祭(そみんさい)の観光ポスターを市が駅構内に掲示しようとしたところ、JR東日本から待ったがかかった。「男性の裸に不快感を覚える客が多い」というのと一部のお客さんにはセクハラにあたるからとの理由だそうだ。

全く馬鹿げた話だ。

蘇民祭は昔からある日本の伝統行事、男衆がふんどし姿で蘇民袋の争奪戦を繰り広げる。疫病よけや五穀豊穣(ほうじょう)などを願い1000年以上も続いているのだ。

JR東日本盛岡支社の佐藤英喜・販売促進課副課長は「単純に裸がダメというわけではないが、胸毛などに特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」と判断したのだそうだ。

全くこの感性には呆れるしお粗末だとしかいいようがない。

それに、胸毛が女性に不快感を与える??それがセクハラの理由??

おいおい、、、じゃあ、毛深い人間の多い沖縄やアイヌの人達はどうする?胸毛がいけないという発言は人種差別にもつながるような発言じゃないのか???「黒い肌は女性に不快感を与えるから。」という発言を黒人にするのと同じようなものだ。それに、JRの電車内のところどころに貼ってある週刊誌のポスターや、そこに書かれている卑猥な言葉の数々など、それこそセクハラにはならないのか??車内の週刊誌の宣伝ポスターには平気で「人妻悶絶!!」やら「潮吹きなんちゃら」とかいう言葉だって並んでいるじゃないですか。それは問題にならないで、なぜこのポスターが問題になるんでしょう???

ん?それに、じゃあこのJRの言い分だと相撲はどうなるんだ??毛深い人間が相撲をとると一部の女性に不快感を与えるからこれもセクハラ行為にあたるのか???

先ほどこのポスターに載った本人(38)がテレビのインタビューに答えていたが、「胸毛は38年前親からもらった。何が悪い。」と答えているが、全くだ。

胸毛が良い悪いの話だけではない。こういう日本の伝統的な祭のポスターすらセクハラだとかいう理由で排除しようとする人間が大きな権力や決定権を持つというのは非常に怖いことなのだと思う。

しかし、このポスターに載った本人はインタビューの最後に「まぁ、これで祭の知名度が上がり、お客さんが増えてくれたら嬉しいし、俺の一生の思い出になる。」と前向きな発言。

押忍!!日本男児!!

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2007年12月18日

帰国子女

帰国子女という言葉があります。

意味を調べると「保護者の海外赴任などの本人の意思以外の止むを得ない理由により、国外での長期滞在生活を経て帰国した学齢期前後(小学校の入学前後から大学の入学前後まで)の年齢にある子女のことをいう。」と書いてありました。

僕は帰国子女です。
学生時代日本国外で過ごしたことで良かったと思うのは自分の国、日本を客観的に外から見れるということだったり、世の中にはいろいろな価値観があるんだということを体感していることのような気がします。

逆に、たまに少し困るのはどうしてもずっと日本で暮らしている人とは多少価値観などにズレを感じたり、物事をハッキリ言い過ぎたり自己アピールが強すぎたりして日本人の友達とはよく摩擦も起こしてしまうことのような気がします。

ま、、それはさておき ある他の帰国子女の方がブログに載せている文章でちょっと面白いと思ったものがあります。

文章の内容↓↓

「ニッポンの弱点、克服しなければならない貧弱な点はどんな所でし ょうか? それを論じてこそ、日本の成長が在ると直感します。

 日本は「決まりや役割さえ守ってがむしゃらに働いてりゃそれでい いんだ」みたいな、悪い意味での男女の「働きマン」が、まだまだ 多いことだと思います。

 対策としては、量的よりも質的なおおらかさが
 もっと必要でしょう。

 そのためには、良い意味での信仰や愛が、もっと日本にあふれると いいですね。大国でいつづけようという野望を捨てて小国をむしろ 目指すのも、精神のためにいいかも。 」


同感です。
全てではないですが、よく同じ帰国子女の人達とやはり細かい部分での意見や感覚が同じというか、やはり自分には親しみやすく感じます。

沖縄に住んでいてもよく感じるのですが、ずっと沖縄に住んでいて沖縄を出て生活をした経験が無い人と、1度でも沖縄を出て県外で生活した経験のある人ではやはり少し感覚が違うように感じることが多いです。どちらが良いか悪いかではありませんが、やはり1度は自分の住んでいる土地を離れ違う場所から育った場所を客観的に見るという体験は視野を広げるという意味では大切な気がします。

話が前後してしまいますが、「がむしゃらに働く日本人」に違和感を感じるのは僕らだけではないはずです。多くの日本にやってくる外国の人達が出会いたいのは少なくとも「がむしゃらに働く日本人」ではないような気がします。

浮世絵やら多くの日本文化が海外から認められ逆輸入されたようなカタチになってから初めて日本の中でその価値が認められたりしていますが、同じように今外国人から日本人として何を求められているのかを感じとることが、もう少し敏感に出来るのなら、自然と今日本人として大切にしてゆかなければいけない精神というものがあぶり出されてくるように感じるのは僕だけでしょうか?


posted by 竜馬 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

猫さん達へ(整理されていない問題)

先日ニュースで野良猫の話が出ていた。

どこかの住民達が「野良猫に餌をやるな。」という反対派と「野良猫(小さな生き物)に餌をあげたいと思ったって良いではないか?」という野良猫に餌をあげてしまう賛成派の対立が起こっているとかいう話でした。

こういう問題は僕の中では「難しい問題だなぁ。」と感じています。

同じような僕の中で整理されていないというかどう考えてよいのか今ひとつハッキリしていないことが世の中にいくつかあります。

例えば、野良猫に餌をやるのが良いか悪いか?という問題と、人間が人間の都合で連れてきてしまった外来種のマングースやアライグマなどを駆除という言葉で殺してしまってよいのか?という問題。もしくは人間が食べる為に工場のようなシステムの中、身動き出来ないような小さな檻に詰め込まれ太らされクチバシも切断された状態で育てられ餌を与えられなんの愛情も自由も感じることなく殺され食われる鶏や他の家畜の問題。人間の医療の開発の為に実験台にされ残酷に殺される猿やモルモット達、そしてその開発された医療によって多くの人が助かってもいるという事実という問題。

書いてゆくとキリがないのだが、これらの問題は結局全部つながっている気がする。これらのうち1つでも問題のヒモが解けてゆけば、全ての問題が解決へ向かうのではないだろうか?となんとなく感じてもいる。

野良猫の件も一概にただ住民が迷惑するから、とか猫の生態系に人間が手を出すこと自体がおかしいとか決め付けてしまうのはなんだか違う気もするし、でも、その増えた猫によって庭に糞をされたりおしっこをされたりして迷惑している人もいるのも事実で、、、。

でも、、でも、、
例えば熊が山から下りてきて畑を荒らし、人間を襲ってしまって殺されたりしているけど、それらの問題はやはり人間が自然を壊して彼らが山で暮らせない環境を作ってしまったからというのが大きな原因な訳で、それらのことを考えると野良猫がこうやって街中に増えているのもやはり人間が最初にいたからなわけで、それらの命を人間の都合で駆除して処分するのは「愛」が無さ過ぎてどんなものかと思ったりもするわけで。。

整理のついていない問題なので、ダラダラした文になってしまう。

とにかく僕は猫が好きで野良猫に出くわすと必ず声をかけてしまうし、正直餌だってあげてしまうことがある。

それが生態系やら地域規模で考えると悪いことのような気もするのだが、もっとデッカク広く宇宙的に(?)考えると、「愛」があれば良いのではないか?となんだかどこからか石を投げられそうな結論が出てしまったような錯覚に陥いって、またその結論が好きだったりもする。

まぁ、批判はされるだろうが
僕はなるべく物事は宇宙的に考えたい。

例えば、自然破壊というけれど、自然破壊されて地球は滅亡するか?といえば、僕はそう考えていなくて、、確かに多くの生き物が絶滅するだろうけれど、地球上の生物全体が絶滅する前に間違いなく人類が滅亡して、その後には必ずなんらかのカタチで地球の自然はまた再生されて生き返ってゆくと思うし、そうすれば人類がいなくなった分、今よりも地球の自然環境は浄化されて自然は新しくよりよい形で保たれるのでは?と感じるし、もっとデッカク言えば地球が月のように緑も水も無くなっても宇宙はまだまだ何億年も滅びないだろうし、、。そんな途方もない広さと長い時間の中、時空を越えて存在するものは、あえて言葉にすれば「愛」「LOVE」って言葉が近い感じがするので、やはり自分の中に流れる「愛」とか「LOVE」ってやつに従うのが良いような気もする。

とにかく整理はなにもついてないのだけど
その宇宙的な時間の中で宇宙的な夢を見ながら昼寝しているような猫達にチョイと人間様のわがままで餌をあげることぐらい宇宙の神様は許してくれるのではないかと勝手に感じたりしています。

この辺のところ、野良猫さん達に相談してみたいものだ。

まとまりのない日記です。


2007年11月11日
posted by 竜馬 at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

温暖化で鼻血??

今日目についたニュース

「チベット自治区の首都ラサでは、地球温暖化の影響による極度の乾燥 で、秋になると鼻血を出して目覚める人が多いという。」

最近毎日ニュースではこういう温暖化や環境破壊のニュースが目立つ。

環境破壊による人類への大きな影響はなんとなくまだ次世代のことなのだと感じている人が多いようですが、、僕はそこは楽観視していない。

僕らが生きている間に間違いなく環境破壊→温暖化などの影響による食糧難、そして水不足の問題が僕らを襲うだろうと考えている。

そもそも、このチベットのニュース。
温暖化の影響で鼻血を出して目覚める人が多いという事実だけでも「これは大変なことだ!!」と我事の問題として捉えられる人がどれだけいるのだろうか?これはもう遠い国の物語ではないはずなのに。

景気回復。景気上昇。経済発展。
しつこいようですが、それらに向かって走っている方々は
早急にスローダウン、お仕事の手をいったん休めてもらいたいものだ。

ゴールに着く前に酸欠になって皆死んでしまいます(・・;)


2007年11月06日

posted by 竜馬 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

種から

何人か僕のことを昔から知っている人はわかると思いますが
僕は学生時代から実は環境運動に随分と関わってきました。

ただ、いろいろなことを知れば知るほど何をどうしてよいかわからなくなるばかりで、また自分の発言も軽く出来なくなってくることばかりで、ここ最近はあまり表立って環境問題にはふれなかったのですが、、

なんとなく最近また自分の気がついた事、感じたことはなるべく表現してゆこうと自然に思えるようになってきました。

先日も書きましたが、個人的には今小さな場所でも植物を植えてゆく、何かを栽培してゆく、つまり、、何かしらの種を植えて育ててゆくことを再度はじめています。あらためて土にふれ植物を育てることで何かとても大切なことを学ばせてもらっている今日この頃ですが同じように考え行動している先輩や仲間が世の中には沢山いるようで、とても素敵なイベントを見つけました。


「ひとりひとりが種をまくことで社会は変わる!!」

土と平和の祭典
http://www.tanemaki2007.jp/sb.cgi?eid=27

開催場所は東京で僕は行けませんが、行ける方は是非。
こういうイベントがあるということで何かとても勇気付けられます。

この沖縄でもどんどんとこういう活動が広がってゆけばいいなと思う。

加藤登紀子さんの娘さんでお母さんと同じくミュージシャンでもあるYAEさんが主催しているイベントなのですが、こういうイベントや活動をしているミュージシャンの方々を僕はとても尊敬するし、また自分も音楽や絵を通してこういう活動をしてゆきたいものだとあらためて深く感じる今日この頃。騒いで電気ばかり使いゴミばかりを増やすようなイベントには少し疲れてきた今日この頃。自分の今やるべきこと、身の置き場所をしっかりと見据える時期にきていると思いました。

結局、自分のやるべきことをしっかりやっている時が
一番楽しいはずなのです。


2007年10月29日
posted by 竜馬 at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月05日

エコバック

498755608_119.jpg

テレビで見ました。↓↓

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070715-00000076-san-soci
【英国の人気ブランド「アニヤ・ハインドマーチ」製エコバッグの限定販売が始まった14日、東京・銀座の直営店に客が殺到し、店側と客の小競り合いになるなど混乱した。いったん中止した販売を再開するなど店側の対応が混乱に輪をかけ、警官が出動する騒ぎになった。


エコバックを手に入れる為に4000〜5000人の長蛇の列。怪我人まで出る始末。挙句の果ては小競り合いと罵声が飛ぶ。

そもそも、このバックがどこやらのブランド物らしく、人気モデルや映画女優ら“セレブ”が持つバッグとして世界的に人気が沸騰。他のバックは数十万するようなブランドらしいが今回は「エコ」ということで2100円という安値(エコバックとしては高すぎ。)な為にこういう騒動になった訳だ。

正直ニュースを見て「アホか?」とつぶやいてしまった。こういうモノを手に入れる為に必死になる人間の感覚が僕には全く理解出来ない。

このニュースを同じく日記に載せていたマイミクさんは、こう書いてます。
↓↓

「ブランドとか、希少性とか、そうしたものでないとイヤ、という考え方は、そもそも「エコ」な考えとは矛盾するんじゃなかろうか。 「エコ」なんて、彼らにとっては、一時的なファッションでしかないのだろうか。」と。

まったく同感。。。

「エコ」だとか「ロハスな生活」だとか言う言葉をファッション感覚で使われていることが妙に数年前から気になる。

ファッション感覚で使われた言葉が良い意味で本当にエコロジーな事と結びつけば良いのだけど、所詮軽いノリでファッション的に使われているだけな為、現実は逆に「エコ」「ロハス」という軽々しい言葉と共に沖縄でも今までの自然破壊とはひと味違う不思議なゆるい感じで「エコな人。」「ロハスな人。」達によって自然破壊が進んでいる。

「ロハスな生活♪」を求めて本土の人間が沖縄に移り住み山を切り開きログハウスなんかを建てて「自然に優しいロハスな生活をしています♪」とのんきな顔で雑誌なんかのインタビューに答えている。

悪そうな奴らが「自然なんかどうでもええ!山を切り開いてデッカイホテル建てて金儲けしたんねん!!」という輩の方がある意味まだ救いがある。怖いのはこういう「エコな人」「ロハスな人」です。自分では「自然の為。」「環境の為。」と思い込んでいるために余計に性質が悪い。

そんな矛盾をわかりやすいカタチにしたのが今回の事件だろう。

“私はビニール袋じゃない(I’m not a plastic bag)”
カバンに罪はないとはいえ、なんだか虚しい気になります。

2007年07月15日

posted by 竜馬 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

竜宮からのつかい

沖縄国頭村の海辺で1月〜2月に海亀の産卵が確認された。

海亀の産卵はここ沖縄ではそんなに珍しいことじゃない。
けど、、本来沖縄では4月〜8月に産卵するのが普通。
研究者の人たちは地球温暖化の影響では?と懸念しているらしい。

気温だけじゃなく、最近は身の回りでも温暖化の影響らしき現象が多くなってきたように感じる。

温暖化。。。
ただ暖かくなるだけの楽しいお話ではない。。

一般的に言われているよりも、もっと急激なスピードで温暖化の影響は僕らの生活を脅かすような気がしてならない。

ほんの少しの生態系の崩れから起こるであろう食糧難。
世界的な食料危機がはじまる可能性は想像以上に高いはず。

オゾン層の破壊もかなり深刻。
オゾン層の破壊により僕らの身体には考えている以上に深刻な影響を及ぼしはじめている。

皮膚癌、失明、免疫低下。
オーストラリアの癌患者のうち3人に2人が皮膚癌。
アメリカでも5人に1人が皮膚癌。
日本含め世界各地で皮膚癌が急増している。

真夏の晴れた日、直射日光を浴びてもよい許容時間は
九州で10分、関西で15分、関東で20分、北海道で25分
という調査結果もあるぐらい実はかな〜り深刻。。。

最近やっとニュースなどで取り上げられることが多くなってきた環境問題ですが、それでもまだまだ僕らは色々知らないというか知らされていない。でも身近の異変を注意深く感じ取っていれば事態は相当深刻なことになっているのは感じられるはず。

海亀が竜宮からの使者ならば今年の海亀達は
僕らに何を伝えに竜宮からやってきているのだろう?


posted by 竜馬 at 05:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

生きて死ぬ智慧

『生きて死ぬ智慧』 柳澤桂子の本から

柳澤桂子という方は、長年、原因不明の病と格闘した生命科学者で、その闘病生活と自分の生命科学者という目と体験から般若心経を語りわかりやすく訳しているところが凄い!!
 
 形のあるもの
 いいかえれば物質的存在を
 私たちは現象としてとらえているのですが
 現象というものは
 時々刻々変化するものであって
 変化しない実体というものはありません
 実体がないからこそ 形をつくれるのです
 実体がなくて 変化するからこそ
 物質であることができるのです

 
 ひとはなぜ苦しむのでしょう……
 ほんとうは
 野の花のように
 私たちも生きられるのです

 もし あなたが
 目も見えず
 耳も聞こえず
 味わうこともできず
 触覚もなかったら
 あなたは 自分の存在を
 どのように感じるでしょうか
 これが「空(くう)」の感覚です

素晴らしい・・・。
般若心経をああでもないこうでもないと難しく語る輩が多い中、ゾッとするほどやさしく、わかりやすく現代の言葉にしてよみがえらせています。
posted by 竜馬 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

平等な医療

もし愛する人が重い病気にかかったら
あなたならどうしますか?

もし自分が重い病気にかかったら?

必要なら入院もするでしょう。もし愛する人が入院も必要で多額の医療費が必要なら多分一生懸命お金を集めてその人を救う努力をするでしょう。

でも、ふと考える時があります。

この当たり前に思っているような事が出来ない環境の国や地域に生きている人達もこの世の中には沢山いるということ。

輸血、高度の手術、心臓外科、脳外科、臓器移植など
先進国の設備の揃った病院でないとできない医療があります。

先進国の高度な医療1人分の費用で、貧しい国の人が千人以上、救済できるのだそうです。。

そもそも先進国の僕らが服用する薬の開発の為にいったいどれだけの動物達が犠牲になっているのでしょう。

先進国だけに可能な医療。それは本当に人を救うものでしょうか?

僕らは先進国に住んでいます。
僕らは先進国の人間です。

どうしてよいのか、どう考えてよいのか僕にはまったく考えきれないほど大きな問題なのですが、、世界中の人がもう少しだけでも平等に生きる権利を持てる日は来ないのでしょうか?アフリカの人達も、北朝鮮の人達も皆平等に愛する人を守ってあげられる日は来ないのでしょうか?

自然界の限界を超えているような先進国の医療。
自然の摂理に沿った平和な調和のとれた世界の実現は果たして可能なのでしょうか?それとも、この一見不公平に見える世の中のバランスこそが自然な姿なのでしょうか???困った事に人類ばかりが増えすぎてもまた自然のバランスが崩れ、やはり不幸なことが起こりはじめます。

これもまた考え出すととまりません、、、でも、世界人類が平和でありますように幸せでありますようにと祈らざるにはいられない人々が先進国にも発展途上国にもたくさんいるはずです。

そして僕もまたその1人です。
posted by 竜馬 at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

月を握る

禅の言葉で、「月を握り風を担う」という言葉があるそうです。
自分の一挙手一投足が 天地の姿だという意味らしい。

この禅の言葉で思い出した、合気道開祖の植芝盛平さんの言葉

『合氣とは愛なり。
 天地の心を以て我が心とし、
 万有愛護の大精神を以て
 自己の使命を完遂することこそ  
 武の道であらねばならぬ。』

以前空手だけでなく合気道の指導員にもなろうと毎日道場に通っていた事があるので未だに覚えているこの開祖の言葉。

『天地の心を以って我心とし』
という部分がゾクゾクするほど好きなのです。

この開祖のの道歌はこう続く

『自己に打ち克ち、敵して戦う心無からしむ、否、敵そのもの を無くする絶対的自己完成の道なり。而して武技は天の理法 を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。』

あらためて考えると深いお言葉・・・
そのまま今の時代にこそ必要な新しい?価値観のような。

合気道開祖の説く武の道とは
「人間として生きる道」そのものなのかもしれない

空手の現役時代には戻れなくても
今の僕には今の僕に合った「武の道」があるはず。

何かあの頃の澄んだ風と水が魂の中を駆け抜けるような
そんな瞬間を昨夜と今日感じた。風にまかせてみようか、、。
posted by 竜馬 at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

王様のような生活

先進国日本で生まれた僕達
昔エジプトやローマの王様は贅沢の限りを尽くして滅びました

実はそんな王様以上のぜいたくな生活をしている人が日本だけでも1億人、世界で10億人いるそうです。。。

ちょっと↓を読んで考えてみてください。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

そしてもし世界が100人の村だったらコンピューターを持っているのはたった1人だそうです。



さて、、、
皆さん、これを読んで「ああ、日本人で良かったw」と優越感に浸りますか?それとも、「こんなに恵まれていたんだ?」と気づき、ほんの少しでも「分かち合う」方法を考えますか?

どう考え、どう生きるか?ここからは僕達の自由。

未来は僕らの想いのまま。


動画で見る100人の村
http://www.oasisjapan.org/100nin.html
posted by 竜馬 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 色眼鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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